宙組『神々の土地』2日目も観劇しました。
文学的で美しい……世界観も、出演者も、美しい作品です。
凍てついたロシアを感じ、冷んやりした空気を感じます。
空調のせいではなく。
私の気のせいでなければ、早くも一部、朝夏さんの台詞の言い方に変化を感じました。
上田久美子先生のダメ出しが、早くも発動したのでしょうか?
朝夏さん演じるドミトリーは、聡明で快活な青年です。
同時に、本音と建前を使い分ける大人の男性でもあります。
それでいて、「本音と建前の使い分け」に徹し切れない、若さ・青さもある。
「大人になる」とは、「周囲の空気を読み、バランスを取る事」だと思っていました。
…ですが、年齢に関係なく「己の希望・願望・欲望」など……「ほんとうの気持ち」に耳を傾ける事も大切ですね。
それが何であれ、「これが私の本心だ」と自覚し、決して無碍にしないこと。
周りに合わせられる面は合わせながら、無為に流されない自分を確立すること。
大切ですね…。
中途半端な気持ちや状態は、いたずらに人を傷つける危険性を孕んでいるんだな……と、改めて感じました。
(私は優柔不断で、決断する事が苦手なので、自分で書いてて胸が痛いです…)
矛盾するようですが、本音を隠し通すこともアリだと思います。
嘘も貫き通せば、真実になるでしょう。
ひとりの人間の中に、矛盾する気持ちや思考がある事は、むしろ自然だろうと思います。
自分のことが、一番わからなかったりしますしね。
己自身と向き合うことが、一番こわかったりしますし。
ドミトリーは優しい青年です。
優しいから、適切ではない感情は抑える。
その時・その場に最適と思える「感情」や「表情」を差し出す。
それが出来る、強い精神力も備えている。
それでも、激流のような「生の感情」が、ふとした瞬間に見え隠れする。
その、感情のうねりを、台詞の抑揚を変える事で表現していました。
初日は淡々と言ってた箇所なので、もしかして上田久美子先生チェックが入ったのかな…と。
あるいは、朝夏さんなりに考えて、そうされたのか。
『金色の砂漠』(花組 2016年11月〜2017年2月)も最初の週から、どんどん変化していきました。
それこそ千秋楽まで、大なり小なり変化し続けたように思います。
『神々の土地』も、そうなるかもしれません。
上田久美子ワールドは、大人の恋が描かれます。
大人の恋は、時として少年少女のそれより、秘められ、解りづらい事が多い。
制約やしがらみも増え、素直に気持ちを表せず、関係性を進める事もできない。
『星逢一夜』『金色の砂漠』とも、少年少女時代は「身分の相違」が彼らの間に横たわるしがらみでした。
それが大人になると、婚姻して配偶者や子がいたり、組織の一員としての責任があったり。
制約はさらに厳しくなります。
大人の恋は、貫くより、諦める方が……言葉は悪いけれど……簡単な事も多いかもしれません。
ここから先は、ネタバレも含むため、知りたくない方は読まれませんよう。
ドミトリーとイリナ(伶美うらら)は独身同士。
イリナは未亡人ですが、再婚は出来たでしょう、相手によっては。
ドイツから嫁いだ外国人とはいえ、イリナは皇族の一員。
ドミトリーも皇族ですが、イリナとの関係は叔母と甥。
血縁はなく、姻族ですが。
それでも、スキャンダルと受け取られそうです。
イリナは、ドミトリーを守る為に…彼の名誉や評判、立場などを守る為に、彼の愛を受け容れなかったのでしょう。
彼女の不幸は、聡明なことですね。
イリナは、ロマノフ家の一員として人生を全うしました。
夫と死別したイリナにとって、亡命は「故郷へ帰国」するだけの事ともいえます。
それなのに、ロシアにいる事…というか、ロマノフの一族でいる事に固執したのは、何故でしょう。
イリナはロマノフの一員でいる事で、ドミトリーと繋がりを持ち続けたかったのかな…。
イリナとの別れに際し、ドミノリーは彼女を「イレーネ」と呼び掛けます。
伶美 「私はイリナよ」
朝夏 「ずっとイレーネと呼んでみたかったんだ」
イリナは輿入れ前、ドイツで「イレーネ」と呼ばれていました。
「あなたが、イレーネと呼ばれていた頃に会いたかった」
それは、「あなたが結婚する前に出会いたかった」という意味。
…ですが、イリナがロマノフ家へ嫁いできたからこそ、出会えた二人でもあるんですよね。
エピローグ……最後の場はおそらく、ドミトリーの幻想でしょう。
彼と関わった人々が、次から次へと現れ、去っていきます。
普通の宝塚作品なら、最後にイリナが残り、2人きりになり、抱きしめ合う…で終わるだろうなぁ…と思います。
確かにそうなんです。
最後に残るのは、イリナでした。
見つめ合い、立ちすくむ二人。
やがて、ゆっくり一歩を踏み出し……かけて、幕が下り切ってしまいます。
2人が惹かれあっている、求めあっている事は、見つめ合うだけで伝わります。
伝わるからこそ、削ぎ落とした演出でした。
ここは、もしかしたら、東京では変わるかもしれません。
どちらの方がいいのかな。
今のままの方が、ドミトリーとイリナらしいとも言えます。
観てる方は、「…あぁっ、そこで幕?!もう少し先まで見せて…!」と思いますが。
余韻を残すとしたら、今のままがいいのかな。
でも、もう少し、もう少し、その先を…歩み寄った二人を見せて下さい、上田先生…!
大人の恋ほど、慎重というか……臆病になるのかもしれません。
その不器用さが、純粋で…愛おしいのかもしれませんね。