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エリザベートが求めた真実の愛とは…?

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昨日8月11日(木)は山の日でした。

せっかくの山の日、自然と親しむため、私も行って来ましたよ。
緑豊かな宝塚へ。

『エリザベート』4回目の観劇、蒼羽りくルドルフ2回目です。

今日は自力ゲットのチケット。
宝塚友の会の先行抽選(一次、二次)で申し込んでも、落選だらけ。
「全部落選か~」とPCパタン…。

先日、雪組新人公演が当たり、友の会マイページをしみじみ眺めてたらですね……なんか…あるじゃん?
もう一つ当選マークが……見えるじゃん?

……まぼろし……?
私が生み出した幻想……?

……じゃないよ!
……という訳で、遅まきながら気づいたのでした、唯一の友会当選エリザを。

もう少しで見過ごすところでした。
いくら申し込んでも落選ばかりだから、まさか当選してると思わなくて。

慣れって怖いよね…。
振られるの前提で申し込んでるから、いつも。
OKしてもらっても、気づいてなかったというね…。

……でね…。
昨日の舞台を観てね……友会にあらためて感謝しました。

8月11日のエリザを当ててくれてありがとう、と。

もうね……二幕は泣きっぱなしでした。

病院訪問でのヴィンディッシュ嬢とシシィ。
皇太子ルドルフの苦悩と死。
息子を亡くした皇帝夫婦の深い哀しみ。
すれ違い続けた皇帝夫婦……殊にフランツ・ヨーゼフの孤独な胸の裡。
エリザベートとトートの、真の邂逅。

本編が終了し、真風さんが若返ってバーンと現れたところで、涙が引っ込んだけどね。
毎回、呑まれます、真風涼帆の圧倒的な華やぎに。

宙娘をはべらせた朝夏さんが大階段に登場した時も、トートのウィッグかぶってるけど、チャラ男全開でした。
お茶会でも、娘役に囲まれて「嬉しい!」と即答でしたよね。
男役冥利に尽きるんだろうなぁ……朝夏ハーレム。

トートが大階段に現れた時、ウィッグの髪を後ろで一つに束ねてますよね。
あの髪型がなぜか好きで……歴代トート閣下に踏襲されている髪型ですが、ドキッとします。
バサッと下ろした髪型も好きですが、ふだん下ろしてる人が束ねると、背筋を伸ばすような緊張感が生まれますね。

『最後のダンス』やフィナーレの燕尾やデュエダンといった激しく踊る場で束ねてるので、ダンスの邪魔にならぬように…との配慮で束ねてるんで
しょうけれど。

終演後、大劇場の改札を出たところで、朝夏愛人会のKさん、Eちゃんと偶然遭遇。
いきなり熱く語られて、困惑されたことでしょう…。
しかも、昇天の場のみりおんシシィの変化を、初日7月22日版、8月6日版、8月11日版と再現して見せられるという…。

その再現がまた全然似てないじゃん?…という。(自覚はあるのよ…)
それ、どんな罰ゲーム?…ですよね。
本当にすみません…でした…。


ラストのシシィの心理表現は、とても難しいと思います。

かたくなに拒絶してきた死(トート)を、なぜ突然、受け容れたのか?
不自然で、ご都合主義に感じてきました、私は。

実咲凛音の解釈と表現のおかげで、初めてシシィを理解できた気がしました。

…そして、まだまだ実咲シシィは変化しています。
実咲シシィを観るなら、上手側の方がいいですね…。
昇天の場で、表情がよく見えるから。

…で、現時点までの実咲シシィの変化を語らせて下さい。

★7月22日(宝塚大劇場・初日)
昇天の場で、張り詰めた表情で佇むシシィ(実咲凛音)
その斜め後ろには、トート(朝夏まなと)が。
ゆっくりと前へ進むトート。
隣を振り返るシシィ。
トートの姿をみとめると、ほっと安らいだ笑みを浮かべます。

★8月6日
シシィは茫然とした表情。
トートに気づくも、その表情は変わらず。

★8月11日
シシィは思いつめた表情。
トートに気づくと、涙をこらえるような…。
トートの両腕に包まれた瞬間、泣きそうな……ほっとしたような…。


初日のシシィは「ずっと側にいたトートに気づいた」その喜びが滲み出ていました。

8月6日のシシィは「これで全てが終わった…」と様々なしがらみから解き放たれた深い溜息のような空気を感じました。

そして8月11日のシシィは……まさにエリザベートの人生を物語っていたと思います。

ずっと「私は独りで戦わねばならない」と己を鼓舞してきたシシィ。
誰かにすがりたい、委ねたい、守ってほしい……と思いながら、期待を裏切られ続け、「独りで立つこと」を選択せざるを得なかったシシィ。
トートが差し伸べる手を、ことごとく払いのけてきたシシィ。
死に安らぎを求めるより、生きて戦うことを選んできたシシィ。

孤独な戦いに疲れきったシシィが、ついにトートの呼びかけに応えます。

そして、トートとの邂逅。

ようやく会えた。
ずっと、あなたに会いたかった。

そんなエリザベートの嗚咽が聴こえてくるような気がしました。


人間は「かくあるべし」と己を縛ることが、ままあります。
シシィもそうだし、フランツ・ヨーゼフも、ゾフィ皇太后もそう。
誰しもが目標や理想、あるいはルールや枠、役目など……。

他にも、例えば……

陰と陽なら陽
善と悪なら善
正誤なら正
清濁なら清

……でなければならない、という刷り込み。

前向きであらねばならない。
明るくなければならない。
愛されなければならない。
生は喜ぶべきもの。
死は忌むべきもの。

今春上演の真風涼帆主演『ヴァンパイア・サクセション』でも「生と死」が大きなテーマでした。
主人公のヴァンパイア(アルカード)は、最終的に「死という形で終わりを迎える人間」になる事を選びます。

重要な脇役として登場する老婦人が言うんですよね。
「永遠に生き続けるより、愛されて死ぬ方が幸せ」と。

私は個人的に……「愛されて」の箇所は省いても良いと思いました。

愛し、愛されなければならない……それもまた、呪縛となりえるから。

誰かを愛さなければ、誰かに愛されなければ、生きる意味も価値もないのか?
そんな事はないでしょう。
私は生きる事そのものに、すでに充分な意味と価値があると思っています。

あるいは気づかないだけで、生まれた瞬間から、大きな愛に包まれている…という見方もあります。

これは言葉で説明されて解るものではありません。
かなり感覚的な要素が大きいと思います。

宗教では、それを神の愛・加護と表現する事が多いですね。


『ヴァンパイア・サクセション』は、日本の宝塚歌劇団で掛ける芝居として書かれました。
生と死をテーマにした時、(男女の)愛という概念を加える事で、「終わりある生」に意味を持たせました。
宝塚の主要客層にとって、それは「わかりやすい解釈・感覚」であろう…との判断からでしょう。


対して、『エリザベート』は、キリスト教圏で作られた物語。

生と死、そして愛をテーマにした場合、愛は主に二つの概念に分かれます。

エロス(性愛)と、アガペ(神の愛)

日本であれば、アガペは「自然の恵み」や「天の佑け(たすけ)」と読み替えても良いと思います。

フランツがエロスの対象であるとすれば、トートはアガペとエロスが融合した存在。

男女の愛を、フランツから満足に受けられず(あるいは受け容れられず)、大いなる神の愛も感じとれない。

シシィは「国民からの敬愛」は受けていましたが、それとて「フランツから愛を得る手段」に過ぎなかった。
(…と、私は『エリザベート』から読み取りました)

シシィが求めた愛は、もっと身近で、わかりやすく、原始的なものだったと思います。

だからこそ、トートの妖しい誘惑を恐れました。
エロスという側面でトートを見た時、既婚者であるシシィにとって、彼は危険な誘惑者なのですから。

シシィは長らく、エロスの側面でしか「愛」を認識せず、求める愛もまたそうだった…と推察します。

それが、死を受け容れた瞬間、アガペに包まれる事を理解した…体感したのだと。

誘惑することで「女性」としてのシシィを満たし、見守ることで「一個の魂」としてのシシィを包み込むトート。

仮にトートがシシィの生み出した幻想だとしても、少なくともシシィにとってトートは本物。
シシィにとって、真実の愛の体現者。
それがトートだと思います。

ずっと、ずっと、あなたと会いたかった。

そんな気持ちが溢れ出してくる、実咲凛音のエリザベート。

次は8月13日(土)観劇予定です。
実咲シシィはどんな表情を見せてくれるのでしょうか。



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